12/10 下書きにあった

自作のベッドの寝心地が悪すぎてまた腰をやってます。何でもかんでも自分でできるって自分を過信するの本当に悪い癖だな。結局あまりのクオリティの低さに後で後悔するんだよな。なんていうか結局損するようにできてるんだ。損するというよりそんな気分になるんだな。

久々にドンキホーテに行ったら凄く楽しかった。前にもこんなこと書いた気がするけど、あそこには10代の頃の憧れが詰まってる。髪を染めたりピアス開けたりお菓子やお酒を買ったり。しかし、改めて行ってみるとしっかりと激安の殿堂な訳ですよ。米が5kgで¥1250なんていうもんだから驚愕して買ったんだけど、これがまた不味いんだな。しばらく不味い米をいかに美味しく炊くか奮闘する日々を送る訳です。これは気分じゃなくて損だよ。

自炊を上手にこなしたい訳ですがよく夜は外に出ているので予定外の外食が多いわけです。チェーン店やファーストフードがやはり多くなってしまう。美味しいものが食べたい季節なのに、ついつい便利さに甘えてしまう仕事帰り。幸福のために必要なものは生活力なのです。暮らしていくことは楽しいです。幸せです。ふっくらした米が食えればもっと。

12/29 下書きにあった

昨日と今日で言っていることが違う人を好む傾向があったんだけどそもそも裏切られる感覚がないんだろうなあと思う。ただ他人のことを面白がれればそれでいいのかな。その人の感情の動きを、その過程をよく見る。見逃さずにずっと興味を持つ。そうすれば信じていたのに裏切られただなんて思わないはずだ。

共感を得られないとは思うんだけど、俺は人と人との距離は遠ければ遠いほど良いし、近ければ近いほど良いと思う。時間や労力を奪われるなら1万マイル、好きなら0。

例えば職場の人と昼休憩でメシを食う時に表面的には楽しく話せるものの、やはり1万マイルの距離を感じる。あの人たち死ぬまで同じ話題で盛り上がれるらしい。心から笑ってるなんてとても信じられない。表情筋が愛想笑いを覚えてるんだ。社会で上手くやるにはつまらないことでも心から笑わなきゃいけないし、どんなに楽しい夜でも折り合いをつけて帰らなきゃいけない。俺はそのくらいのことは簡単に我慢して無意識にでもできるようになるだろうと思っていたんだけど無理みたいだ。これはパンク精神でもなんでもねえ。格好悪い。俺が悪い。でも無理だ。サラダを取り皿に分けないといけないからっていつまでも隣で中腰になって前傾姿勢になってる女の子がウザくてたまらないよ。

1/1 賀正(下書きにあった)

明けましておめでとうございます。この節目に生きて会えること、嬉しく思います。

 

2019というのはある意味で一つの大きな概念な訳でして、俺が2019に対して野望に近いものを抱いているように皆さんも何かしらの意識を持っている訳でして。今年も良い一年にしたい人、今年こそ良い一年にしたい人、なるようで良い人、皆んな面白いと思います。一人でも多くの面白い人と出会えるといいな。面白くない人は2018年に置いていきたいです。もう年越したから間に合わんけど。

 

こんな切り出し方をしておいてなんですが、現実は決して区切られている訳ではなくて。年を超したからといって何かが自動的に変化するわけではないです。変えられるのは意識だけ。でもそういうのを俺は大事にしたいと思うわけっすよ。例え今だけでもね。今年は筋トレするぞ!とか、お金をしっかり管理するぞ!とか、手帳を持つぞ!とかね。色々意識し過ぎて俺は今大忙しです。筋肉痛でシャンプーが辛い。仕事が終わって去年ならラーメンでも食いに行くものを極力自炊をすると決めてしまったからご飯つくらなきゃいけない。となると皿も洗わなきゃいけない。禁煙は無理なのでそれ以外の健康には気を使うということで飯をたらふく食ったら半身浴をしなきゃいけない。そして俺は湯船の中で寝てしまうわけです。起きたら喉がカラカラで死ぬかと思った。これ逆効果じゃね?とか思いながら風呂から上がったら曲作り。もう今年は流行りに一切寄せねえ。歌詞を乗せる段階で行き詰まったので一服。今です。曲からつくるといつも歌詞が置いてけぼりになる。言いたいことがなんにもねえ。最近は特定の個人に言いたいことばかりが増えていって直接伝えた方が早いのです。

graf

なあ、こんな時間にも身を削って音楽を作り出したり鍛錬に勤しむ奴らがいるのになんで俺はテキーラで身を削っているんだ?でもそういう時間も必要だってこと押し付けなんかではなくて何となく自分で判断して何だかんだ楽しいのは長い間お世話になってるgrafっていうライブハウスのお陰なんだな。福岡初のライブがgrafだった。入学した覚えのない大学の軽音サークルのイベントに無理やりねじ込んで貰って出たのを覚えている。その大学の先輩たちが俺らに良くしてくれて?ひっきりなしにテキーラを奢ってくれた。特に一番仲良くしてくれてたぶっ飛んだ先輩は絶対に金なんかないはずなのに全てを奢ってくれた。まあ8割が酒だ。その日、まだ未成年だった俺は23杯のショットを注入した。ちゃんと覚えてる。最後の一杯を飲んだ時にとうとうバーカンがグワングワンと回り出した。ヤバイ!椅子から転げ落ちて俺は平衡感覚を失って暴れる!!と思い、外に這い出した。その後の記憶はないのだが、半端なく蚊に刺されていたのを覚えてる。酔っ払って力加減なしで掻き毟るから色んなところから血が出てたな。あの日そのあとどうしたんだっけ?警固公園で寝たっけ?もうあんまり覚えていないんだけど。俺はこれを書きながら今もやってることが大して変わってない現実に頭をかかえている。昨日観たあんどん馬鹿馬のそれでいいのさが頭で流れる。ロックンロールは言い訳にはならないけれど、肯定してくれる。お茶目で馬鹿なロックンロールが好き。

やってることは変わらないのだけれど色んなことが変わった。あの頃からずっと続けてきた訳ではない。バンドから離れたことも何度もあった。でも長く身を投じた気分ではいるわけで。そういう人にしか起こらない、分からない変化があると思う。

俺なんか元々ライブハウスは嫌いだった。その時は若くて全てに反抗的だったのもあるんだけど、ライブハウスも俺にとって結局は社会でしかなかった。先輩に楯突くと怒られたし、打ち上げで県外から来た知らないバンドマンに酒を注いだりしてた。対バンを観ろ!とフロアに入れられたり、格好をこうした方がいいと特に興味のないアドバイスを頂いたり。

その全てを真っ向から否定したいわけではなかった。必要なことだと思う。ただ、俺の気持ちありきだろと常に思ってた。これを大した心もなく、器用にこなす方にシフトするくらいなら俺は演奏だけやってお客さんと喋ったら帰りたかった。観に行きたいバンドは金払って観に行けばいいし、バンドマン同士の繋がりなんか求めてなかった。余計なラインの友達が増えて後で誰か分かんなくなるのがオチだ。

マナーやモラルより心を育てて欲しいと俺も含めて若い連中は絶対思ってる。近年の福岡のライブハウスにはこれを物凄く感じる。それが結果、上の代がやりたいことに繋がる。本当に感謝してる。頭あがんない。

なんだかんだで次回、久々にgrafでライブ。なんか大きいこと書いちゃって恥ずかしいね。直向きに頑張ります。

ダラダラと朝になる

半身浴をするんじゃ〜♪

最近甘いものが食いたくなってどうもいかん。生クリームたまに食うとめちゃくちゃうめえし甘いパンも実は大好きだし練乳なんか幸福の味がするね。白いベールで身を包んだミルクの女神が俺に微笑んでいるよ。彼女になら歯を全部虫歯にされてもいい。昨日はミニストップのプリンパフェを食べたね。いやー染みたね。ブラウンシュガーを噛み締めるたびに悶えたね。甘いものを食べる時に飲むブラックコーヒーがまた最高でね!!苦くて酸味のあるものがオススメ。でも基本的にはバナナで糖分を取ろうね。デブは嫌い。

 

成人式で久々に会う奴はどうだった?言葉は通じた?違う星の生物になってる奴とか地中で生活を始めた奴とかいるよな。それでも同じ場所に帰ってきた感覚が間違いなくあってさ。小学生の頃の記憶を皆んなで辿ったりなんかして。曖昧な記憶をみんなで確かなものにしていくんよ。一方で初恋の人がいつまで経っても現れなくて激萎えしたなあ。中学3年間想いながらもなーんも言わんで終わったな。てかそんなんばっかりだ。今更ながら思ってないことは言わずに、言いたいことはハッキリと言える自分でおりたいと思いながら最近生きてるわけですが。正直で素直な代わりにデリカシーを失いました。さよならデリカシー。なんかこんなバンド名あったな。俺はバンドをやっていて人前に立たせて頂くこともあるわけですが、MCがめちゃくちゃ苦手なわけです。正直にものを言うとしてもあの曲間の短い時間に熱い気持ちとかそういう類のものを一切の誤解なく伝えることは不可能かと思いますが、どうでしょうか?だからその証拠に綺麗事並べる人ばっかりですやん。NHKにでも出演中か?これはこの人にとってはユーモアなんだろうな、これは冗談のつもりで実は本音を含んだ言葉だな。そういうことを想像しながら人の話を聞ける人って少なくね?だから俺もよく怒られるわけですよ。俺が悪いんすかね?でもね、俺も相手を選んでふざけるわけです。辛い経験をした人を相手にそれを彷彿させるニュアンスでは話さないじゃないですか流石に。でもライブで喋るってどうよ?誰が観てるかわかんない。あのフロントマンが言ってたこと糞だわってMCなんかでバンドごと、音楽ごと一蹴されたらたまんないよね。俺なんかが考えたって駄目だしさ、その場で出てくる言葉も大したことないことばっかりだから3カウントでぶった切るのが正解よ。さっさと曲やろうぜ。頼むわ。言いたいことがなんもねえ。その分曲の方をちゃんとしなきゃって俺焦っています。ミュージックビデオに歌詞を載せないと皆んな歌詞が聴こえないんだってよ。ここに凄く良い曲があったとしても食べやすいように一口サイズにしなきゃいけないのだと思う。こういうことを考え出すとまた振りきれなくなる。そもそも振り切れるとは何だろう?俺への期待値を俺が上回ることか。でもそもそも俺に期待してる人がどこにいる?こんなにブレブレやったのに。ごめん。今考えながら書いてます。まずは自分を定めることか。サトウトモヤってこんなんだよーって!影響されやすいから良いもの観るのも程々にした方が良いかもなあとか思う訳で。そんな器用にやれんけどさ。バンドやってないと分からんことって沢山あるなと最近思う。許容はするけど妥協はしないこととか、どんな楽器にしたって人間がやってることだとか。終いにはバンドをやっていない人を"普通の人"と呼んだりもする。ハリーポッターでいう"マグル"みたいに。なんか笑ってしまった。別にバンドマンを特別だとは思わないし、むしろ社会的に悪く言われてることもあって謎の劣等感があるくらいだ。だけど俺たちは絶対どこかで「まあ俺にはバンドがあるし...」って思ってる。高価なご馳走も海外旅行も格好いい車もめちゃくちゃ羨ましいけど俺にはバンドがあるんだよな。今の環境を嬉しく思う。環境に対して努力足りてなー。情けなー。あと2日で振り切れるか?そもそもその意味が分かるか?のぼせてきた。

なあ、ナウ

職場にいつも吸ってるラッキーストライクを忘れてしまい煙草を薬局に買いに行ったら種類が少なくてハイライトを買うことに。基本的に辛い臭いタバコが好きで選ぶタバコがその辺になるんだけど、ハイライトはたまに物凄く甘く感じることがある。身体のコンディションによるのか変なタバコだなとたまに思う。それで気持ち悪くなっちゃったりもするから困った。去年の暮れに一瞬だけタバコを辞めようと思った。なんで辞めようと思うのか分からないのだけど。節約するにもタバコを辞めると口寂しくなって間食が増える。結果倍の金がかかってしまう。タバコ吸ってる人は無理!みたいな女の子苦手だし健康もそこまで気遣うつもりが今はないし本当になんで辞めようと思うんだろう。なんだかんだで世論に振り回されることがあるなと思う。辞めようと思ったのに辞めれないのは意志が弱いからだと言われればそんな気がしてくるし、百害あって一利なしと言われればそんな気も何となくする。俺はタバコの嫌いなとこがあるとすれば灰だな。てかなんで灰って変換候補がこんな後ろに出てくるんだよ。アイフォンこういうところが駄目だな。車を運転しながら吸うと灰が車内で舞ったり、部屋にもなんだかんだで散ってたりする。あれがめちゃくちゃムカつくんだ。灰を落とすのが下手くそな奴が部屋に遊びにきた時とか最悪だ。灰を灰皿に落とす時に何故か音が立つくらい叩いて落とす奴がいるんだな。飛び散るんだって。どうしてそんなに頭悪いんだよ。一度車で走行中にタバコ吸ってる友達が灰を飛ばしてそれが火種付きで俺のお気に入りの服に乗っかってきたことがあった。俺は運転してる友達を反射的にグーでそこそこ強く殴ってしまった。あの険悪なムードといったらなかったな。ごめん...みたいな。でもその友達とは喫煙所で仲良くなった感じがある。大学の頃とかよくある話で、タバコミュニケーションというやつだ。タバコは対人に関しても色々と便利なんだな。俺はよくまだダベってたい時とかにひっきりなしに火を付ける。帰るか帰らないかで迷ってるムードを5分程度延長できるわけだ。吸い終わるまでに帰らない理由を探す。最近思うんだけど俺って物凄く寂しい人間なんじゃないだろうか?皆んな寂しいふりしてクールだよなって凄く思う。なんだかんだ毎日何かある。誰かに会う。振り返るとちゃんと思い出にはなってる。写真もあるしビデオもある。話をした内容、言葉も覚えている。それでも最近は"今"がなくて寂しい。

賀正

足りない足りないと夜眠らずに街をひたすら練り歩くことに一切の意味がないことを1年かけて学びました2018年。なあ、2019年は俺たち確実に遊ぼうよ。待ち合わせしよう。俺たちはライブをするからそれがライブハウスでも良いし、スーツケース一つで僕の部屋に転がり込んで来てもいいんだぜ?大丈夫!大丈夫!

他にも学んだことはある。むしろ感謝できる出会いが教えてくれたことだ。無理に寄り添ったって誰も得しねえ。俺は考え方がコロコロ変わるんだけど、何とか付いてきてくれる人たちがいるから成り立つんだよな。不思議なことに。例えそれが忙しい合間を縫った首の皮一枚の繋がりだったとしても俺の余暇を使って繋ぎ止めなきゃいけないんだよ。大事なのは無理して同じ方向を向くことじゃないな。一緒に過ごす時間、同じものを観ること。共有ってやつ。恋人同士じゃねえけどな。遠距離恋愛なんか糞食らえなんだよ。自分の時間なんかいらねえよ。むしろ全部俺の時間だよ。

寄り添うってのは悪い言い方をするとやりたくねえことを何か他に目的があってやることを俺の中では指すんだよな。俺が一番苦手なことで去年やろうとしてたことだ。この"寄り添う"と自分のやりたいことがゴチャゴチャになった。他でも上手くいかないことが多くて、アップデートにも忙しかったことが相まって一向に真っ直ぐに日の当たる道を歩めなかったんだな。今日もいい天気ですねーなんて余裕がどこにもなかったんだよ。常に真っ暗闇を皆んなで手を繋いで右往左往してた感じだ。大丈夫かしら?お前の言う方向合ってるか?なんつって。でも手は繋げてる訳で。

そもそも俺たちは自由だったし、寄り添う必要のある相手なんかいなかったんだ。目の前に色んなことを並べ過ぎたんだな。そして、それを眺め過ぎた。視界に入った目の前のことを一つに絞って全力でこなして初めて次にいける。それをやろうと思う。私生活でだってそうだよ。汚れた皿が視界に入ったら洗うんだ。バナナが視界に入ったら食うし、埃が視界に入ったら夜中でも掃除機をかけるんだよ。何から手を付けようと脳みそが考える前に終わらせる。俺たちには何となく時間がない。

 

仕事柄、年末年始は多忙だった。仕事を納めたと思ったら年は明けていた。大掃除なんかする暇はない。紅白なんか観てない。でも蕎麦は食べた。明けましておめでとう!の"おめでとう"ってなんなんだろうね?って話してた。去年を無事に過ごして年を越せたことを祝うらしい。知らなかった。今まで、時間が過ぎるのを待っとけば勝手に年は明けるのに何がおめでとうだよって思ってたんだ。一年を無事に過ごしたこと、大袈裟に言うなら生きたことは尊いことらしい。確かにな。そう思うことが歳を経るごとに増えてきた気がする。明けましておめでとう。今年も生きるぞ。