うわー、もう4時じゃん

作業に没頭する時間が多く、生活リズムがデタラメになっている。そういうわけで、今日は眠れぬ身体を無理矢理ベッドに押し付けてみる。ところがもう3時半だ。いよいよ退屈になってスマホを取り出す。

ネットは使い方さえ間違えなければ本当に面白いもので、知らない人と怖いくらい簡単に繋がることができる。知らない人と創作の話をした。芸術の価値や自分の立ち位置を再確認もできた。きっと意識していない部分でも何かの糧となっているはずだ。自分の至らないところ。リスペクトの精神。もう知らない誰かに嫌われてしまっても屁でもない年齢になった。例え、俺が何かヘマをやらかしてネットの世界で痛烈な批判を食らったとしてもそいつとご飯でも食べに行けば簡単に言いくるめることができそうだ。仲良くできるし、するかしないかは俺次第だとすら思う。現実にはそんなに悪い奴らはいない。突然、罵声を浴びせられることも少ない。架空の世界で傷ついたり、腹を立てたりする時間は本当に無駄だ。

距離の近い人とラインでやりとりをしていてもそんなことがあるだろう。でもその瞬間、俺にはその人のことが人として見えていなかったりするのかもしれない。羅列する文字に、鳴り響くスマホに、悪気のないスタンプに腹を立ててる可能性だってあるわけだ。

重要なのはその人を人として見ること。どんな人なのか知ること。敬語を知らない奴がタメ語で話しかけてきたっていちいち怒んなよ。そいつはそういう奴なんだから。それで綺麗に片付けることが今はなんだかできちゃうよ。俺は良いけど他でそういう態度取るなよ?なんてダサいお決まりの台詞なんて吐かねえよ。俺が良いなら良いんだよ。常識を知らない人間が嫌いな人は嫌いで良いですし、尖ってる感じが気に入ればそれはそれでロックってことで良いんじゃない?ライブハウスに遊びに来た君だってさ、話しかけられなくても音楽があるから良いじゃん。帰って虚しくなってもアップルミュージックがあるじゃない(俺らの曲はないけど)。相手が思い通りに動かなくたってそんなに悲しくなるなよ。"俺はこういう人間だ"なんてふざけた迷言だけど、ある意味合っているのかもね。自信持って言い放って見限られるだけならキモいんだけど、何か光るものを見出して側にいてくれる人がいるならそれも良いんじゃないかな。俺は黙って離れたり、近づいたりを繰り返して分かり合える日を待ちたいと思う。言葉はいちいち選ばずに受け取ってもらえる日を待とうと思う。湯を沸かして抹茶オレかコーヒーにするか迷ってたらお湯冷めた。誰かと心がすれ違った気分ね。でも大したことじゃないんよ。よくあること。そんなにギャーギャー喚くな。黙ってろよ。