夜桜

バンドとして作品という作品が何もないままでいると、時間感覚を失ったままはしゃぎ回るのみ。側から見ればお世辞にも活動的とは言えない状態が続いていくというのはこれまでずっと経験し、懸念してきた問題でございまして。

「3月は制作期間といこう!」そう決めてライブ活動を行わず1ヶ月が経ちました。我々のような無名バンドは1ヶ月はおろか、1日経過するだけでも名前を忘れられてしまうというのに。リスクを冒した意味はあったんでしょうか?我々はバンドの内なる場所で立ち止まることが多すぎてなかなか前に進まないままでいたんですが、近頃やっと次の一歩を踏みしめる音が聞こえてきたような気がするのです。不確かなのがバンドです。でもそれを売りにしないのがロックです。いつ解散するかわかりません!なんて言うなら今解散すれば良い。エアロスミスもいつの間にか解散してたし。目を瞑ってる間だったよ。人と人を繫ぎ止める作業も込みでバンド活動なんだって最近思う。もしかしたら今が一番良い次期なのかもしれない。今を逃したら俺はそれはそれは中途半端なおっさんになるでしょう。作曲やレコーディングがパソコンで完結する時代に閉じ込められて、若者の音楽を馬鹿にしながら地下鉄で発狂。その模様をツイッターにアップされ、皮肉にもそこでバズるんだ。

 

 

今年は桜を観た。夜桜。中学生の時にポテトチップスとコーラを持って友達と集まって眺めてたのを思い出した。夕飯の時間に子供が外に出るのを親は嫌がるわけだけど、子供に良い感性が宿ったのでは?となると話は別だった。「夜桜を観に行く」と一言親に言うと、どこか勝気な気分でチャリの鍵を持って家を飛び出したのだった。俺には四季を楽しむ感性があるのだ!風情だろうが!まいったか!といった具合に。

その日、俺は友人に花見に誘われていた。無論、俺は乗り気だった。仕事の休憩中に充電を使い果たした死にかけのiPhoneを片手に友人たちを探すのだが、想像の数十倍広い会場を1周もできないままそれは力尽きた。どうすることもできず、多彩にライトアップされた夜桜の中を一人でひたすら歩いた。久しぶりにああいうものを素直に綺麗だと感じた。次の約束が迫る中でもゆっくり、しっかり観ておこうと思った。覚悟を表明する訳でも、行く末を悟った訳でもない。ただ、なんとなく暫く見ることができない景色だと思った。